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本間の主観

モバイル広告に携わって17年目突入。思ったことをオブラード3枚に包んで・・・。大きな心で読んで下さい

ちょっと前に言われた

「僕も(私も)○○さんみたいにカリスマ性があれば・・・」

この一言を思い出して書いてみる。


カリスマ性がある人って言われて誰を思い浮かべるだろ?

分かりやすいところで言うとソフトバンクの孫さん、インターネット系で言うとGMOの熊谷さんやCAの藤田さんってなるんじゃないかな。わしの古巣の重田会長もそうだと思う。

先述した質問に対してわしが思ったのは「カリスマ性って先天性のものじゃないよ」ってこと。
確認したことないけどそう言われている人からするとそう言われると「なめんなよ」って言うか「そんな簡単な言葉で片付けるなよ」って思うんじゃないかな。

宗教の世界じゃない限り産まれ持ったカリスマなんてないと思う。
もっと言うとその人の行動、実績を鑑みて周りの人が勝手にそう言ってるだけで本人にはその自覚すらないと思う。

でもね、他人と同じ事は出来ないと思うんですね。
同じ言葉、同じイントネーションで喋っても聞き手は同じように受取らない。
なぜなら聞き手はその人の背景を思い描きながら話を聞いてるから。

そう考えるとカリスマという言葉自体が虚構なのかな、なんて思う。

ちょっと思い出したので書いてみた




11連休が終わったのでちょっと振り返ってみる。

予定通りゴルフを除いて東京から出る事はなかった(笑)

仕事に行き詰まってたわけでもないので「リフレッシュした!」という感覚もない。

で、何してたの?と言われるとイベント的なものはゴルフとBBQぐらい。
あとは半分ぐらいスロット打ってた。

この休みの一番の印象は結婚後恐らく初めてと思うぐらいカミさんと二人で行動する時間があったということ。

お昼になれば「せっかくなんで美味しいもん食べに行こうよ」って鰻食べに行ったり、かき揚げ食べに行ったり、すき焼き食べに行ったり、麻婆豆腐食べに行ったりして昼間っから酒飲んで。
カミさんをショートコースデビューさせたり、打ちっぱなしに一緒に行ったり。

うちはできちゃった婚なので結婚後は常にチビがいたので二人で行動する機会ってほとんどなかった。
結婚前に二人で行動していた時とは違う感じ。お互い歳取ってちょっとのんびりな感じ。

「老後ってこんな感じなんのかね?」

ってカミさんと話した。
何より「こういうのもアリだなぁ」と感じていた自分に一番の驚き。
この歳になってちょっと人間に近づいてきた感じ。


あとは何となく分かってたことだけど仕事から完全に離れることは無理だなぁ。
メールは毎日チェックしないと落ち着かない。実際返信もしてるし、会社関係に電話したり。起きたらいつものようにコーヒー飲みながらPC立ち上げて情報収集して。
だからと言って「休んだ気がしない」という感覚は全くない。

ほんとに仕事辞めたら何していいか分からなくなりそう。
ワーカホリックではないけど以前から「ONとOFFの切り替えをする人の気持ちが分からない」と言っているように
全く苦じゃない。というか当たり前のことと思っているだけ。それによってわしは安心感を得られるだけ。
仕事を切り離すことでリフレッシュ出来る人がいるのと同じ感覚。

他方、「毎日出勤しなくても仕事出来んじゃね?」って思ったけど(笑)

さぁ久しぶりの出勤。ちゃんと起きる事から始めよう
組織はタイミング、及びその時にやらなければならない事によって変わらないといけない時がある。

既知の通りD2Cは4月に組織変更が行われもうすぐ1ヶ月になる。
本間はこれまでD2Cの中核事業である広告事業の責任者から経営企画室という新設された部署に異動した。

数字で置き換えると売上で言うとざっくりグループ売上の70%、部下は200名からノンプロフィットセンター、部下2名になったわけだ。
いやぁ~超身軽!(笑)


わしは役職や抱えている組織規模に全く興味は無い。

大事にしているのは自分が会社においてやるべき事は何か?自分が会社で実現したいと思っている事が実現できる環境にあるか?って事だけ。
または必要とされているかどうか。

これが叶えばそれでいい。
その為に役職など意識することはあるけど名誉や見栄で意識することはない。
(ただ頭が悪い人の下にはつきたくないなぁ・・・)


よく役職や会社のブランドで仕事をしている人がいる。

わしに言わせるとしょーもないの一言。
そういう人って自分が薄っぺらい人って自ら言っているようなもんだし、もっと言うと自分でも認めている(分かっている)はず。(これを分かってなければただの「めでたい人」なんだけど)

ただそれが相手にも伝わっているということを理解していない。

会社や役職に関係なく「個人」を認めてもらい関係性を作れることが今の世の中生きていくために必要なことだと思う。
(これは今に限らず昔からそうなんだと思うけど)

追記:だからといって会社への帰属意識を下げろ、という意味ではないので悪しからず

名前に本が入っているのに本嫌いな本間です。
高校時代、現代文の偏差値は常に40台でした。
余程、興味を持たない限り(知り合いの本とか)読もうとしない。

そんなわしが昨日初めてメンバーに本を配った。
それは「経営者の条件(P.F.ドラッカー)」です。

そもそも本に興味がない人なので当然のことながら自ら本を調べたりする事がない訳で。
この本のことを知ったのはCAベンチャーズの田島さんから「これ僕にとってのバイブルなんですよねぇ」っぽいことを言われその場で購入し、読んで「なるほどなぁ」と思った訳です。

タイトルに「経営者」と入っているので難しそう/経営層(又はマネジメント層)が読む本っぽく見えるけど、わしの捉え方は仕事に対する姿勢/向き合い方が書いてある本だなぁと。

なのでマネジメント層とか関係なく読ませたい人に配った。

で、配る際にメンバーには
・こちらから感想を聞くつもりはない
・読む/読まないも個人の判断に任せる
・何か気付きがあれば機会があった際に教えて
と伝えた。

これは本嫌いなわしだからなのかも知れないけど、本って強制的に読ませても意味がないと思うんですね。頭に入ってこないというかなんというか。
ただ「わしは面白いと思ったよ」というきっかけを与えただけ。

渡されれば最初の数ページは読むと思う。
そこで興味が湧けば読み切る。そこに気付きがあって「本ってすげなぁ」と思えば今度は能動的に本を買うようになり自ら選んだ本だからより頭に入っていくし腹落ちするんじゃないかな、と。
さすればそれは本人の成長に繋がる。

でも捉え方は人それぞれなんでわしが面白いと思ったからと言ってみんなが面白いと思う訳じゃない。
「僕は(私は)面白いと思いました/思いませんでした」それだけでも気付きなのでそれでいいと思う。

折角、お金を払うのであれば身にならないと意味がないしね、なんてことを思う。
前々から違和感を感じている事を。

自分の価値観を押し付けている事が多く、全体がそういう風潮になり宗教じみた感じになってないかなぁ、と。

例えば
・事業は世界を目指すべきだ
・起業してチャレンジすべきだ
とかは分かり易い例。

そりゃ世界で勝てれば達成感も大きいだろう。フロンティア精神を持っている人であれば尚更。
挑戦できる土壌があれば是非挑戦すればいいと思う。ただ全ての企業(人)にその土壌があるわけではない。

起業もしたければすればいい。
わしもよく言うけど、自分のやりたい事やるんだったら起業するしかない。
起業して是非自分の夢を実現してほしいと思う。
別の視点で考えてもこれからは大企業でも潰れていく時代。自ら居場所を作っておくことも大事だろう。
でも失敗している人の方が比べ物にならないぐらい多いことはきちんと理解しているのだろうか。
何より企業に勤めていてもチャレンジは出来るし、夢の実現も出来る。

誤解がないように書くけど世界展開を否定しているわけでも起業を否定しているわけでもない。しかも一例として書いているだけだし。

ただそれ(価値観)を押し付けているというか、しない人を否定する風潮があるような気がして違和感を感じているだけ。
※ここで言う「否定」とは「それでいいの?」「やらなきゃ駄目だよ」みたいなこと

それは本人にその気がなくても結果的に「煽ってる」事になり結果、無邪気に行動を起こしている人が多い気がするし、そういう人は当然失敗確率が高まる。
そこで失敗した際に自己責任というのであればそこら辺の無責任なマスコミと何ら変わらない。

「価値観は人それぞれ」

数年後、失敗する人が増えなきゃいいな、と素直に思う。
これから景気も悪くなりそうな気がするし。
(あえてここでは「成功」「失敗」の定義の議論はしないので悪しからず)

とは言えわしも含め価値観の押し付けはどこにでもある事。逆になければ企業も組織も産業も成立しない。
結局は程度の問題というかケースバイケースという言葉に落ち着くんだけど。

なんてことを日曜日の夜中に考える