親の存在 | 本間の主観

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モバイル広告に携わって17年目突入。思ったことをオブラード3枚に包んで・・・。大きな心で読んで下さい

FBにも書きましたが8月12日に親父が永眠しました。
享年68歳です。

親が死ぬということを考えた事がなかった。
正確には考えたくなかった。でもその時はいつか来ると分かっていた。
しかも親父の場合は前日まで一緒にいた家族の話を聞くといつもと変わらない1日、いつもと変わらない月曜日だったらしい。
本当に突然の出来事でした。
不謹慎だけどいわゆる「ポックリ逝っちゃった」って感じです。

自分で言うのも何だけどわしは親父っ子。
恐らく兄弟の中でも最も気に掛けてもらっていたし、親父と二人で遊びに行った回数だと兄弟の誰よりも多いと思う。
それだけにあまりにも早すぎる死、突然の死に思うところがたくさんあった。

(葬儀の挨拶で話をしたことと被りますが)
「親孝行したい時には親は無し」という言葉があります。

わしは25歳の時に転勤で東京に来た。
今が40歳なので16年目です。

転勤してからは年に1、2度の帰省になったので親に会う機会は広島にいた時に比べると当然減った。
帰省した時はもちろんの事、親が東京に来た時は色んな名所に連れて行ったり、親父が定年退職した後は一緒に旅行するなど出来る事はしてきたつもり。

でも後悔の念しかない。
もっとこうしたかった、もっと色んなところに行きたかった、など。

親父が亡くなって親孝行って何だろ?って考えた。

親孝行って恩返しだと思ってる。
そう考えるとそもそも今のわしがあるのは親のお陰、わしがこの世に生を受けたのは親のお陰。
これに対する恩返しはどうやっても出来ない。満足出来る親孝行なんてない。

行き着いた答えは親父が作り上げたもの、守ってきたもの、守りたかったものを受け継ぎ、そしてわしの子供達に継承していくことが本当の親孝行なんじゃないか、と。

なのでそれをこれから実行していこうと思う。

当たり前のことだけど親は偉大だと改めて思った。