会社を運営すること | 本間の主観

本間の主観

モバイル広告に携わって17年目突入。思ったことをオブラード3枚に包んで・・・。大きな心で読んで下さい

加藤さんのこのブログを見て会社についてちょっと考えた。

その会社は誰のために存在するのか、という定義づけについて

僕は(全て雇われだけど)過去に3回子会社の「代表取締役社長」を拝命したことがあります。

最初は26歳の時。光通信の子会社でサイバーメディアマーケティングという会社。
親会社もイケイケ、個人的にも若くイケイケ。
しかし知識もない上に勘違いもしていた。身の丈に合わない事務所、エクセル遊びで作った事業計画書。CFの概念なんて全くなかった。赤字計画に対しても根拠なく「投資しなければ成長出来ない」一点張り。
結果、大失敗。億単位の損失を出し会社は1年も経たず解散することになった。
ここで学んだことは会社を運営するということは多くの人を巻き込んでいるということ。自分が腹切るだけでは済まない。
当時の社員には本当に迷惑を掛けた。馬鹿な上司の下に就く部下は本当に不幸だということを知った。

2回目は29歳の時。日広(現GMO NIKKO)の子会社でmobileadという会社。
事業計画はまだエクセル遊び的な要素はあれど身の丈経営(稼いだお金を投資する)をした。
独りよがりではなく会社のメンバーとも色んな議論をし始めた。ただ少しづつ知識も付き始め加藤さんや親会社と言い合ったりもした。その際たるものが管理部門との喧嘩。
子会社だったので親会社にお金を払い管理機能を任せていた(今でいうシェアードオフィス)
その役務と費用のバランスがおかしい・高い!って喧嘩し(まだまだ小僧だった)、だったらそっちでやればいい、じゃぁやってやるよ、という売り言葉に買い言葉。
当時経理担当者もいないし、僕は簿記などの資格を持っていたわけではないけどいろんな人に聞きながら勘定奉行を一人で叩いた。1年ちょっとぐらいやったと思う。
お陰で経理・財務のことはかなり詳しくなれたし日本の管理会計・財務ってよく出来てるなぁって感心した。
同時に会計と税務が同一ではない不便さも知った。
ここで学んだのは身の丈経営では機会を逃す可能性があるということ、そして色んな人に助けてもらって会社は回っているということ。
前者はインターネットバブル崩壊後ということもあり当時は正しかったのかもしれない。年商も10億を超え一定の利益を出すことは出来た。ただアクセルを踏むべきところで踏めなかったんじゃないかと後になって思った。身の丈経営という言葉を自分への言い訳にしてたんじゃないか、と。
後者は管理部門との喧嘩が正にそうで会社が回りだしてから月次で表れるコストだけを単純に見て高い・安いを判断しても意味がない。そこに至るまでのコストであったり、何より社長である僕が経理業務(実務)をやることでの事業損失という概念が完全に抜けてた。当然財務知識は必要だけど給与の高い社長が経理の実務をやってちゃいけない。新しい収益源の確保、外からお金を稼ぐことが本来の仕事だったはずだ。
当時の管理部門のみなさん、本当にご迷惑をお掛けしました。

3回目は39歳の時。D2Cの子会社でD2CRという会社。
この会社は今までと異なり設立当初から兼務として代表職に就いた。
なので当然今までとは関わり方が異なる。具体的には「いつか外れる」ということを前提に当初から後継者育成を念頭に置いてきた。
事業計画の考え方、組織の考え方、細かなところでは与信の方法などこれまで僕が学んできたことを軸に手法よりも考え方を幹部メンバーに言い続けてきた。
入り口を間違ってしまうとその後どんな手法を用いても間違えてしまう。だからこそ考え方、物事の捉え方、背景を読み解く力がとても重要。社長という役職に就くということは個人の判断が会社の判断となり今後を大きく左右するので。
あと「君たちはどうしたいの?」と質問する機会を増やした。
とはいえ言い続けても経験しないと腹落ちしないのも事実なので4月から新経営陣には適度な失敗をしながら学んでいってほしいと思う。

振り返ってみて思うのは加藤さんの言葉に置き換えると
1社目は「my company」
2社目は「our company」
3社目は「your company」
だったのかな、と。今までそんなこと考えたことなかった仮にそうならばこの3つを経験出来た僕はとてもHappyだな、と思うと同時にこれまで多くの人に迷惑を掛け、多くの人に助けてもらったんだな、思ったのでした。

ただこれはあくまで「雇われ社長」を経験した僕の意見であって「オーナー社長」にはまた違った意見があるんだろうと推測します。

余談ながら1社目と3社目は偶然にも僕の誕生日(2月1日)に設立してます。