光通信という会社 | 本間の主観

本間の主観

モバイル広告に携わって17年目突入。思ったことをオブラード3枚に包んで・・・。大きな心で読んで下さい


今日、約18年前に一緒に仕事にしてたメンバーと食事をした。
18年前というと光通信である。わしが広島、岡山で仕事をしていた時の話。

当然、昔話になる。

わしが知っている当時(1996年)の光通信は今で言うと正に「ブラック企業」だった(今は知らない)
当日の必要数をやらない限り帰宅出来る気配はなかった。
その週の必要数をやらないと週末に休めるなんて思えなかったし、言えなかった。
なので1ヶ月先どころか今週末の予定すら立てれなかった。休めるかどうか分かんないから。

社訓ってなんだったっけ?という話になった。
5つあるうち4つは言えたけど1つが出てこなかった。

光通信の社訓
一つ、我々は常にロマンと美学を持って行動すべし
一つ、我々は常に謙虚で素直な気持ちを持って行動すべし
一つ、我々は常に全体の調和を考えて行動すべし
一つ、我々は常に真のエネルギーを持って目的の為に純粋な行動を取るべし
一つ、我々は常に不可能の向こうに可能が、あきらめの向こうに成功があることを信じて行動すべし
(この4つ目が思い出せなかった)

出来ているかどうかは別として良い事言ってると素直に思う。
にしても14年前に辞めたの会社の社訓が今でも4つ言えるってすごいなぁ、と思った。
しかも当時の雰囲気を思い出しながら。

当時、夜中に広島の本通りで皆で社訓をしたこともあった。
いやぁ若かった。今だったら恥ずかしくて出来ない(笑)


話変わって先々週にわしが初めて代表を務めた会社(2000年)の同窓会っぽいものがあった。
今の時点で連絡が取れる人が15名程度。そのうち11名が参加した。

話のネタは
「あの時の本間さんは無茶苦茶だった」
「あの時の本間さんはめっちゃ恐かった」
そんなネガティブな話ばっかり。何度かやってるのでネタは結構被ってき始めた。
みんなおっさんになり、おばさんになってた。

ここで大事な事。
光通信の時の話もそうだけど、当時どんなネガティブな事も今となっては笑い話のネタとなってる。
みんな笑って話をする。
確かにその当時はわしの事を恨んでいた人もいるかも知れない。わし自身も当時を振り返ると理不尽だったなぁって他人事のように思う。
口に出さないだけかも知れないけど、当時のことを本気で詰めてくる人は人はいない。

何故なのか分からない。

でも当時の人達で集まっておもしろおかしく当時の事を話をしているのは事実。

ありがたいなぁと思うと同時に人に恵まれたなぁという感謝の念。

考えた時、言えるのは当時のことを笑って話せる人達は「やりきってた人達」なんだと思う。
善い事も悪い事も全て飲み込んで突っ走ってた。
光通信も長く勤めてた人で当時の光通信の事を悪く言う人をほとんどみたことない。
あれだけ劣悪な環境だったにも関わらず。
悪く言う人の大半は短期で辞めた人。

他社でもこんな事たくさんあると思う。

そういう経験をした事ない人が知ったかぶりして偉そうに大きな事を言わない方がいいと思うよ、なーんて思ったりする酔っぱらっている夜。